桐光学園小学校で保護者に毎年配付している冊子(学校として大切にしていることや、様々なお知らせ。年間行事予定などを掲載)の名称を「いもこじっこ」としたのは、今から17年ほど前のことだと思います。その意味は、「いもこじ」からきているもので、そもそも「芋をこじる」というのは、桶の中に里芋と水を入れ、棒や板でかき回すことを表します。こうすると、芋と芋とがぶつかり合い、こすれ合って、うまい具合に汚れが落ちてゆきます。土がついた里芋を買ってきて、水の中でかきまわしながらよごれを落とすこともあるのではないでしょうか。このようにお互いがぶつかり合いながら磨き合うことを教育の理想とする考えは昔からあり、素晴らしいことだと思います。ところが、先日、ある方と「いもこじ」の話をしていて、「飛び出る芋があれば、拾って入れてやる」とも辞書に書いてありますが、それも素敵なことですね!と言われて、ドキッとしました。自分は、「ぶつかり合って、磨き合う」ことはいつも考えていましたが、「飛び出る芋があれば、拾って入れてやる」ということを疎かにしていなかっただろうかと・・・。疎かにしていなかったと思いたい自分ともしかしたらと思う自分。「飛び出る芋」があれば、そこに「やさしさと願い」を加えて戻してあげなければと気持ちを新にしました。
「おたんじょうび おめでとう」という題名の絵本は数多く出版されていると思いますが、先日4年生の書写(硬筆)の教材としてその本の文章を使わせてもらいました。
「4才になったサムは、一人で部屋の明りをつけようとしますが、スイッチにまだ手が届きません。洋服を一人でとろうとしても洋服ダンスも高くて手がとどきません。そんなサム君におじいちゃんからいすがとどきました。」というような文章でした。子どもたちがこの文章を書く前に、私が読んだあとで子どもたちがどう思ったかを尋ねてみました。
・文章の中の「明り」は「明かり」と習いましたがどちらでもよいのですか?(確かに「か」が入った方がよさそうです。)
・サムに君がついているところとついていないところがあります。
というようなするどい指摘もありましたが、ほとんどの子は椅子をプレゼントしてくれたおじいちゃんの気持ちを理解してくれていました。
この一冊の絵本からも私たちは学ぶことができます。子どもたち一人ひとりに今何をしてあげることがよいのか、または、何をしてはいけないのかを。
私は、子どもたちへの誕生日カードに、自分でできることが少しずつ増えていくことがすばらしいことなんだと書くことがあります。
自分に何ができるのかをいつも考えていきたいものです。