本校卒業生の楓さんが、教育実習に戻ってきました。3週間の実習の最終日に、小学校時代の思い出や現在のことなどについてインタビューをさせてもらいました。
【久しぶりの母校へ】
—小学校に久しぶりに足を踏み入れてみて、どんな印象を受けましたか。
当時は身体にピッタリだった机や椅子などが、どれも小さく感じられました。一方で、理科室や家庭科室が新しくなっていたり、2階廊下から見下ろす中高グラウンドが人工芝に変わっていたりして、施設がより充実しているのを感じました。
—低学年のころの姿が、昨日のことのように思い出されます。
学校が大好きでした。実習初日、先生方にお会いした時に授業や休み時間のことが鮮明に思い出されました。
—先生たち、ずいぶん歳をとっていたでしょう(笑)。
変わりません(笑)。あの頃のイメージそのままです。
—先日の中休み、Bグラウンドで子どもたちとサッカーをする姿を見かけました。TOKOとロゴの入ったジャージで走り回る楓さんが子どもたちに馴染んでいました。
桐光学園が大好きなので、ジャージも中高の時のものです! サッカーとの出会いは小学校。仲のよい女の子が体育の先生のことを大好きで。でもその先生は、休み時間に男の子とサッカーをすることが多く、その子はどうやって先生と遊ぶかを真剣に考えていたんです。そこで出た答えが、「一緒にサッカーをする」。でも一人で男子たちに加わるのも勇気がいるので、「楓さんも一緒に来て」っていうことになったのです。
—なるほど。友だちの付き合いで始めたのがきっかけだったのですね。
はい。でもやってみると案外、面白くて。もちろん、男の子のスピードにはついていけないのですが、ある日、たまたま私の足にボールが当たり、ゴールにつながるということが起きました。すると、ある男の子が駆け寄ってきてひと言、「ナイスアシスト」と言ってくれたんです。それが嬉しくて・・思い出すだけで泣きそうです(涙)
—友だちのさりげないひと言が、こんなにも励みになるものですね。
親に相談してサッカーを習い始め、5年生からはフットサルのチームにも入り、小学校のうちはサッカー・フットサルを行き来して楽しんでいました。Bグラウンドは、そんな特別な思い出の詰まった場所です。
【中高で過ごした6年間】
—小学校でのほっこりエピソードを聞かせてくれてありがとう。さて、桐光学園の中学・高等学校では、どんな6年間を過ごしましたか?
真っ先に思い出すのが、校内合唱コンクールでクラスの指揮者を務めたことです。「やってみたい」という私の背中を押してくれたのが、桐光小から一緒だった友だちです。
—内部進学生の存在は大きいのですね。
とても心強い存在です。私が指揮者に名乗り出た時、「楓さんでいいんじゃない?」って内部進学の子たち数名が言ったら、じゃあ決まりだねってわりとあっさり選出されたんです。それで合唱コンクールでクラスが金賞を受賞。2年生の時も務めさせてもらい、また金賞。
—それはすごい! 3年生でも金賞ですか?
3年生の時は、おしくも銀賞でした。でも、「銀賞」が決まった瞬間、「楓さんのクラスが金賞じゃないの?」っていうざわめきが大きく、何だかそれはそれで嬉しかったです。3年間、私に任せてくれた仲間に感謝です。ちなみに、3年生の時に金賞だったクラスの指揮者は、小学校出身の子でした。中高で出会った友だちも貴重な存在ですが、小学校から一緒だった子とのつながりは特別なもので、これからもよい友だちでいられると思います。
【大学進学、そして将来の進路へ】
—将来の進路選択について教えてください。
目標がすぐに定まったのではなく、周りの人に相談したり、思い悩んだりした時期もありました。現在学んでいる学部には、「社会福祉士」または「養護教諭」の資格取得を目指す友だちがいます。どちらもやりがいのある魅力的な仕事ですが、私は「養護教諭」を目標に定めて勉強しています。
—多くの選択肢から、養護教諭への道を選択した理由は何でしょう?
「子どもと触れ合う仕事がしたい」その一言です。ちょっと真面目に語らせてもらいますと、子どもは国の未来を創る存在だと思うのです。可能性が詰まった子どもたちを育てる教育現場に、私にできること、私にしかできないことは何かな? と考えた時、養護教諭の仕事がしたいと思いました。実習で、在学時にお世話になった養護の先生の仕事を肌で感じたら、夢が明確な目標へと変わりました。怪我や体調不良など、色々な理由で足を運ぶ子たちがいますが、後で担任の先生と話しをすると、教室と保健室では、子どもが違った表情や一面を見せることもあるというのを感じました。子どもの「サードプレイス(=居場所)」になるような、ほっと一息して安心できるような保健室作りをしてみたい、と強く感じました。
—桐光小で学ぶ後輩たちへのメッセ―ジをお願いします。
小学校を好きでいてほしいです。学校や仲間たちを信じて、目の前の遊びや勉強を思いきり取り組んでもらいたいです。それができる学校だし、温かく応援してくれる先生たちばかりです。あと、私自身がそうでしたが、小学校6年間が順調なことばかりではなく、高学年時には友だち付き合いで悩むこともありました。でも、そんな時にも必ず自分に味方をしてくれる子がいました。「大丈夫だよ」って。もちろん、友達との関係は変わっていきます。中学校に行ってから仲を深めた桐光小出身の子もいます。サッカーで「ナイスアシスト!」と言ってくれた男の子も、彼は覚えていないかもしれないけど(笑)、いつか「ありがとう」を伝えたいし、私の成長に関わった大切な仲間の一人だと思っています。
—12年間の学園生活を、ゆったりとした気持ちで臨むことが大切なのでしょうか。
そう思います! 楽しいことも、苦しいことも、いろいろ経験してたくましくなります。中高では勉強も難しかったけれど、小学校でコツコツ努力することが生かされました。親子で桐光学園が大好きで、私の母は毎年高校野球の試合結果をチェックしては「桐光、勝ってるね!」なんて言っています。いま、こうやってお世話になった先生と話せるのも、私学のよさだと思います。他校の話ですが、中学校の生徒会長を務めた友人が母校を訪れたら、誰も自分のことを知らなかったと嘆いていました。でも、私学ではそれがありません。小さい頃の自分を知っている先生が、ずっといてくださります。
—目標の実現に向けて、これからも勉学に励んでください。
もう少し大学で勉強したいことがあります。養護教諭という目標に向かってがんばりたいです。夢が叶うのであれば、いつの日か母校に戻ってこられたらとも心に強く思っています。
—そんな日を、私たちも楽しみにしています。3週間お疲れさまでした。
たいへんお世話になりました。ありがとうございました。
インタビューした日、マラソン大会のメダルを持ってきて見せてくれました。かつて、子どもの国で実施していた小学校の学校行事。なんと3つも持っていました。他にも、小学校から高校までの学校行事の資料などを、たくさん保管しているのだそうです。「私、捨てられない人なんです」と話していましたが、それだけよい思い出になっているのだと嬉しく思いました。
「教育実習で学校に戻ってきたとき、職員室の先生方のwelcomeな雰囲気が心から嬉しかったことを、ぜひ記事に書いてください!」と最後に話してくれました。桐光小の特色の一つは、教員と子どもとの距離が近いことかもしれません。一緒に走り回ったり、お腹を抱えて笑い合ったり。実習最終日の放課後には、2年生が「ありがとうございました!」とグラウンドから手を振っていたり、6年生が保健室を訪れて挨拶をしていたりと、実習生との別れを惜しむ子どもたちの姿がありました。
3週間、母校で学んだことを大学に持ち帰って、今後も勉強に励んでほしいと思います。