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校長ブログ(8/2)

第46回「一遍上人忌俳句大会」・校長閑話

 

 今年で第46回になります「一遍上人忌俳句大会」が、9月に開催されます。本来ならば、遊行寺で開催され、境内の散策や本堂へ参拝などをしながら、当日に「兼題」の「一遍忌(遊行忌)」・「席題」の当季雑詠の各1句ずつを出句して当日句会が行われていました。また、8月中に応募句の2句(当日句会と同じく、一遍忌・当季雑詠)による事前詠草集による選考句会が行われ、2部構成の句会で、毎年、100名ほどの参加者で賑わう年中行事の句会として続いているものです。ところが、昨年からの新型コロナの感染拡大にともない、本年も昨年と同様に応募句のみの大会として開催されることとなりました。一遍忌はオープンな句会なので、どなたでも参加できます。開催要項を紹介しますので、応募してみて下さい。

 

 兼 題     「一遍忌(遊行忌)」・当季雑詠の各1句ずつ」

 締め切り    令和3年8月20日(金)必着 

 応募方法    原稿用紙等に楷書で記入。住所、氏名、電話番号を明記。

         投句料 1,000円(定額小為替/何も記入しないで下さい) 

 宛先      〒251-0027

         藤沢市鵠沼桜ヶ丘 1-5-7 髙瀬 俊次 方

         一遍上人忌俳句大会事務局

 賞・発表    遊行寺賞・青木賞・北澤賞・藤沢市長賞はか

         受賞者には賞品をお送りします。

         応募者全員に詠草集をお送りします。

 主 催     藤沢市俳句協会

 後 援     藤沢市教育委員会・時宗総本山清浄光寺

 

受付に木の実が置かれ一遍忌    健

高校教頭ブログ(7/31)

 2020東京オリンピックは日本人選手の活躍が連日中継・報道され、コロナ禍の中ではありますが少し明るい気持ちになっている人も多いでしょう。
 2020東京五輪は7月23日に開会し、閉会式は8月8日になります。その後少し日数を空けてパラリンピックの開会式が8月24日に行われますが、オリンピックとパラリンピックの間には何があるでしょうか?……「お盆」です。
 以前は「お盆=帰省」でしたが、今は「お盆=レジャー」になっているようです。もちろん、今は新型コロナウイルスの感染拡大が劇的に悪化しており、お盆もステイホームが叫ばれる状況ですが…。
 さて、以前はなぜ「お盆=帰省」だったのでしょうか?「仏教では」と言うより、日本の風習では「お盆にはご先祖様が各家にお帰りになる」と信じられてきました。だから、ご先祖がお帰りになるお盆には、帰省してご先祖をお迎えすることが習わしとされていました。そして、ご先祖様の「迎え方」と「送り方」が各地の「盆行事」や「盆の風習・しきたり」となってきたのです。それ故、「盆行事」や「盆の風習・しきたり」は各地域で異なることが多いのです。
 「歴史に学ぶ」ことの大切さがしばしば言われます。世界には歴史があり、日本にも歴史があり、各地方にも歴史があり、各地域にも歴史があり、そして各家にも歴史があります。おそらくお盆は家族や親族が一堂に会す機会であるとともに、そこに集う子どもたちが「各家の歴史」を学び、「自分」というものの存在に思いを馳せる良い機会でもあったのだろうと思います。本来の「お盆」が次第に薄らいでいくことには、一抹の心配を感じるのです。

中学教頭ブログ(7/30)

 東京オリンピックが開幕しました。日本人選手の活躍がすばらしく、金メダルの獲得数が過去最高になるようです。

 さて、みなさんの注目競技はどの競技でしょうか。私の注目競技は「競歩」です。注目競技というよりも感動的な競技と言うべきかもしれません。競歩競技が初めてオリンピック種目となったのは、1908年に行われたロンドン大会でした。その当時の種目は3,500m競歩と10マイル競歩だったそうです。

 私が最も感動する種目は、何と言っても、男子50㎞競歩です。走らずに50㎞も歩くのですから、観ている人にとっては退屈な競技のように思えます。ところが、私にとってはこの「走らずに歩く」という行為に、「じれったさ」を感じる反面、「ものすごさ」も感じてしまうのです。3時間30分以上をかけて、ランナーたちが「走らずに歩く」のですから。また、「歩く」フォームが魅力的です。お尻を振り振り歩くアヒルのような歩き方がたまらないのです。

 残念なお知らせです。この男子50㎞競歩競技は今回のオリンピックが最後となるそうです。8月6日(金)、午前5時30分がスタート時刻です。早起きをして観戦してみてはいかがでしょうか。

校長ブログ(7/24)

7月24日「河童忌」・校長閑話

 

 「河童忌」とは、芥川龍之介の忌日のことです。1927年(昭和2年)、7月24日、35歳の若さで逝去しました。死因は致死量の睡眠薬を飲んでの服毒自殺でした。

「河童忌」の名称は、芥川が生前に好んで河童の絵をよく描き、亡くなる年に残した短編小説「河童」によるもといわれています。そのほかに、「澄江堂忌」「餓鬼忌」と呼ばれることもあります。

 1915年(大正4年)東京帝国大学在学中に「羅生門」を「帝国文学」に発表し、翌年の1916年(大正5年)に第四次『新思潮』創刊号には「鼻」を発表しました。この作品は夏目漱石から賞賛され、その才能が認められ、やがて大正文壇の寵児へと次々に作品が発表されることになります。1915年は、わが藤嶺藤沢が設立認可を受けた年です。したがって「羅生門」は、その発表から106年が過ぎ、いまなお、高校の国語の教科書には、必ずといっていいほど採択される文学作品です。

 芥川が亡くなって8年後、親友であった菊池寛によって、芥川の名を冠した新人文学賞が設立されることになります。それが「芥川龍之介賞」です。通称では「芥川賞」と呼ばれ、「直木賞」とともに新人作家の登竜門となっています。

 芥川龍之介は辞世の句を託して亡くなりました。前書きには「自嘲」とあります。「自嘲」とは、自分で自分を軽蔑し、あざけることです。その句とは、

 

水洟や鼻の先だけ暮れ残る   龍之介

 

「水洟」とは、「はなみす」のことです。7月に冬の季語の「水洟」をもちいて、辞世の句とすることは、多くの俳句や句集を残している芥川にしては、おかしな行動といえます。この句は、『澄江堂句集』77句中の17句目にあたります。そして、成立年代は、大正の10年頃ではないかといわれています。

 死を意識した芥川がこの句を辞世の句としたのには、それなりの理由があり、いろいろな評者の研究も発表されています。冬の夕暮れはあっという間に辺りを闇に包んでいきます。芥川の困憊(こんぱい)した精神と肉体は徐々に闇につつまれていきます。そして、なぜか、鼻水の鼻だけが暮れ残っています。この「鼻」こそが、夏目漱石に賞賛された「鼻」という作品と考えると、すさんでしまった芥川の心が唯一癒されている瞬間にも感じられます。

中学教頭ブログ(7/22)

 昨日、オーストラリアから一通のメールが届きました。Enjoy the Olympics and a beer! という内容でした。25年前、本校が初めて海外語学研修を西オーストラリア州・パースで実施した時に、お世話になった先生からのメッセージでした。

 その先生は男性で、家庭科(主にクッキング)の授業を担当されていました。至って陽気なアメリカ人で、日本に生徒を連れてきた時には、狭苦しい我が家にも泊まっていただきました。マンションのオートロックの玄関では、Open sesame!と大声を上げ、近所迷惑になっていました。京都観光にも連れて行きましたが、神社仏閣にはほとんど興味がない様子でした。ナイトクラブでは水を得た魚のごとく、生き生きとしていました。また、妻が彼の穿いていたパンツの大きさに驚いていたのを覚えています。 実は、その先生が息子さんとともに、今回の東京オリンピックを観戦するために来日する予定でした。もちろん、中止となりました。15年ぶりの再会を楽しみにしていただけに、今はとても残念な気持ちです。

 東京オリンピックがついに開幕しました。五輪招致活動から考えると、10年以上の歳月が流れたことになるわけです。多くの人々がこのイベントの準備に携わってきたのです。そう簡単には中止にできない背景はなんとなく理解できます。とにかく、延期となった東京での2回目のオリンピックが無事に閉幕することを祈るばかりです。

高校教頭ブログ(7/19)

 昨日(7/18)の新聞は、本校硬式野球部の勝利を伝える文字が躍っていました。
  読売新聞 :「藤嶺藤沢 打ち勝つ」
  神奈川新聞:「藤嶺藤沢 激闘制す」~決勝打の主将西井「自分たち信じた結果」
 テレビ中継(TVK)があり、4時間を超す大激闘、大逆転勝ちということで、多くの藤嶺藤沢関係者が盛り上がったようです。本校OBで立川流真打ち落語家立川らく次氏からも「強敵相手に激闘を制し嬉しく思っております。勢いに乗る野球部員の健闘をお祈りします。」というメッセージが届きました。
 さて、本校硬式野球部の激闘を伝えた昨日の神奈川新聞の11面には「日曜歌壇・俳壇・柳壇」が載っていました。昨日の歌壇の特選は「滑舌を良くせんものと「赤光」を大きな声でゆっくりと読む」でした。作は「港南区長谷川友則」、選者武田弘之氏の評は「はっきり発音するための訓練として、斎藤茂吉の名歌集「赤光(しゃっこう)」を音読するという。作者は長期の入院を終えて帰宅したが、身体の不如意を抱え、今回は奥様の代筆で投稿された。朴訥な詠み口が心に迫る。」です。

 斎藤茂吉(1882-1953)は、近代短歌を確立した歌人であり、山形県金瓶村(現 上山市金瓶)の旧家(守谷家)に生れ、開業医であった親戚斎藤紀一のもとで(後に養子縁組)一高から東大に学び精神科医となりました。一方、中学時代から和歌に興味を持ち、正岡子規の影響を強く受けて作歌に熱中する青年時代を送ったそうで、代表的歌集に『赤光』『あらたま』『ともしび』『白き山』などがあります。
 斎藤茂吉は、実は時宗と大いに縁があるのです。生家の守谷家は隣接する時宗(のち浄土宗)宝泉寺の檀家であり、茂吉は四十世住職佐原窿応の薫陶を受けたのです。そして、処女歌集『赤光』の題名は、時宗が大切にしている「阿弥陀経」に因んでいます。出典は阿弥陀経中の「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」という部分です。
 時宗750年の歴史には実に様々な人が関わっているということです。

校長ブログ(7/16)

7月16日「やぶ入り」・校長閑話

 

 「藪入り」とは、江戸時代に都市の商家で、奉公に出された少年(10歳ぐらい)が、年2回実家にもどることができたお休みのことです。この習慣はやがて結婚した女性にも広まっていきました。奉公人は丁稚(でっち)・小僧(こぞう)などと呼ばれ、住み込みで雑用をしていました。朝から一日働き、夜は番頭さんなどから、読み書き、そろばんを教わることもありました。今で言う土曜日、日曜日などという休日はなく、休みなく働いていたのです。また、江戸時代の嫁入りは、家に嫁ぐのであって、家のしきたりに従わなくてはなりません。ですので、勝手な振る舞いは許されなかったのです。年2回、実家に戻れた日は、旧暦1月16日(藪入り)と7月16日(後の藪入り)です。この日にちの設定は、小正月(1月15日)・お盆(7月13日~15日)の翌日になります。現在は、働き方改革や労働スタイルの変化もあり、「藪入り」のような風習はありませんが、今日で言うと「お正月」や「お盆」の帰省になります。家族構成や家庭環境の変化で「帰省」という経験がない人もいると思いますが、私は「お正月やお盆」の帰省は年中行事でした。親戚の家にご挨拶に伺ったり、地元の方々との交流があったり、小学・中学・高校時代の友人との再会を楽しみにしたりと1年の中でも大きなイベントでした。しかし、新型コロナの感染拡大の影響で、昨年から帰省も難しい状況になりました。

 「藪入り」は古典落語にも出てくるお話です。この話には明治時代の「ペスト」の流行のことが出てきます。感染経路であるネズミを駆除することで、懸賞金がもらえたそうです。奉公人の「亀」がこの懸賞金を手にして、里帰りしたことで騒動が起こります。詳しくは落語「藪入り」を聞いてみて下さい。落語には「オチ」があります。奉公先のご主人にたいする「忠信」とネズミの鳴き声の「チュウ」が掛けられています。

 

藪入りの夢や小豆のにえる中  与謝蕪村

 

 10歳ぐらいの少年が、やっと実家にもどり、わずかな時間を家族で過ごす。母親は息子のために料理を用意します。うたた寝も小豆が煮える間ほど、少年はどんな夢を見ているのでしょう。

中学教頭ブログ(7/16)

 先月、ギタリストの寺内タケシさんが亡くなりました。82歳でした。寺内さんはエレキギター=非行という風潮に抗議して、1,500校を超える「ハイスクールコンサート」をライフワークとして活動していました。その長年の功績に対し、平成12年には文部大臣から感謝状が贈られました。本校でも演奏をしていただいたことを今でも鮮明に覚えています。「津軽じょんがら節」や「ソーラン節」などの民謡をエレキギターで演奏してしまうという破天荒な音楽のジャンルを切り開いた方なのです。

 それでは、エレキギターを演奏している人が、なぜ非行と結びついてしまうのでしょうか。おそらく、そこには固形観念の存在があるのでしょう。エレキをやる高校生は、茶髪で髪の毛が長く、ピアスと擦り切れたジーンズというイメージをなぜか抱いてしまうのです。刈り上げでスラックスをはいた青年ではエレキギターが似合わないということなのでしょう。

 甲子園に出場する高校球児たちに対する固定観念とは坊主頭ということにになるのでしょう。9割近くの高校が自主的に「坊主」にしているそうです。ところが、徐々にその固定観念は崩れつつあるようです。本校の野球部の諸君も数年前から髪の毛が長くなっています。ルールとしてはずっと前から「自由」だったそうですが、その固定観念を打ち崩す風潮に変わったようです。

 時代は大きく変わろうとしています。黒板からホワイトボードへ、白墨からホワイトマーカーへ。そして、大学ノートからタブレットPCへ。

 寺内タケシさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

高校教頭ブログ(7/12)

以下の文は先日ある大手新聞の1面コラムに載った文章です。

[あるクイズ番組で、ガッツ石松さんにこんな問題が出た。「太陽はどこから出るでしょう?」。ガッツさんは間髪入れず答えた。「右!」◆放送作家の高田文夫さんがエッセーに書き留めている。この出来事を深夜のラジオ番組で取り上げたところ、ガッツさんのタレントとしての人気に火が付いたという。昭和のテレビが生んだジャンルのなかで、時代が移っても陰りがないのがクイズ番組である◆次々に現れる新番組と選手交代というわけだろうか。「パネルクイズ アタック25」(朝日放送)が今秋で終了すると発表された◆俳優の児玉清さんの司会で、1975年に放送を開始した視聴者参加型の長寿番組である。日曜日の午後、児玉さんの柔らかな語り口で進行する番組に休日のゆったりした時間を預けた方は多かろう。10年前の5月に児玉さんが亡くなったとき、本紙歌壇に次の作品が載った。<「アタック」という声耳に残りおり青葉の季節に散りゆきし人>◆教養あり、笑いあり。高田さんによると、真偽は不明ながらクイズ番組のガッツ伝説に傑作がある。「亀を英語で何と言う?」「スッポン!」]

 上の文章は「パネルクイズアタック25終了」が主旨ですが、それとは違うことで私の心には高校時代の思い出の一つが甦りました。コラム中の「ラジオ番組」とは「ビートたけしのオールナイトニッポン」なのです。当時、ニッポン放送で毎週木曜深夜(正確には金曜午前1:00~3:00)の放送でした。私の仲間内では金曜朝に「昨日聴いた?」が合い言葉……私はラジカセでタイマー録音して翌日聴く派でしたが…。ビートたけしの爆笑トークと「ガッツ石松コーナー」「村田英雄コーナー」などのコーナー(他にここでは書けないようなものも…)があり、当時の(男子)高校生にとって至福の時間と言ってよいものでした。YouTubeで検索すると何本か当時のラジオ録音音声をアップしているものが見つかります。興味があったら聴いてみて下さい…ただし、教育上好ましくない内容も入っているかもしれません。

校長ブログ(7/10)

                       7月9、10日「四万六千日・ほおずき市」・校長閑話

  「鬼灯市」は浅草寺の夏の風物詩といわれています。残念ながら令和2年、3年と連続で開催が中止となりました。本来であれば、深い緑の葉、形の整った紅いろや濃いオレンジ色の実が、鮮やかな空間を醸し出します。鉢で観賞用に育てられ、その鉢を竹の籠に収めて屋台で売られている光景は、「縁日」の花といえるでしょう。「縁日」とは、寺や神社で祭ってある神仏の降誕・成仏など、何らかの縁がある日のことです。その日には、神仏の供養や祭りなどが行われ、露店が出て、参詣人でにぎわいます。「縁日」には「功徳日」と呼ばれる日があります。「功徳日」は、その日に参拝すると100日・1000日分の功徳が得られるという特別の日のことです。浅草寺では、月に1度、年に12回の功徳日があります。7月10日は、なんと46,000日分の功徳があるとされ、特に「四万六千日・しまんろくせんにち」と呼ばれています。呼び名の由来は諸説ありますが、「一升」の米粒の数が46,000粒にあたるとされ、「一升」と「一生」を掛けたものと言われています。46,000日ですから、約126年分になります。人生100年時代といわれている昨今、それより長いことになります。浅草寺ですから、観世音菩薩さまの功徳を一生分いただき、感謝しながら「ほおずき市」を楽しむことができれば、きっと江戸情緒に浸れることができるでしょう。 

                 雨きらきら 鬼灯市の 夜空かな  瑞史

  新型コロナ感染の拡大は、まだまだ収束の兆しが見えません。各地域の伝統的な年中行事も中止、延期を余儀なくされています。学校行事の実施も十分な配慮が必要になります。7月10日(土)は天候に恵まれ、高校の球技大会後半戦が実施されました。各種目、優勝、準優勝、最優秀選手、優秀選手、特別賞などクラスやチームの結束で獲得できたと思います。総合優勝は、3年E組でした。おめでとうございます。