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2021年9月

高校教頭ブログ(9/30)

「鎌倉殿の13人」
 皆さんはNHKテレビ(総合)の「大河ドラマ」を見ているでしょうか?今年は『青天を衝け』というタイトルで、幕末に生まれ、明治、大正、昭和期にかけて活躍した日本の実業家であり、近代日本資本主義の指導者であった渋沢栄一の物語です。
 来年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』というタイトルで、作・脚本は三谷幸喜氏、主演は小栗旬さん、そして物語は鎌倉幕府二代執権北条義時です。「平安時代末から鎌倉時代前期を舞台に、源平合戦と鎌倉幕府が誕生する過程で繰り広げられる権力の座を巡る駆け引きと、その勝利者で北条得宗家の祖となった北条義時を主人公に描く」とのことです。
 物語の舞台となる鎌倉市では、大河ドラマを起爆剤としてアフターコロナとなる来年に多くの観光客や寺社参拝客を呼び込もうという動きが出てきています。例えば、鎌倉市観光協会公式HPでは「鎌倉殿と13人の重臣<特設サイト>」を立ち上げ、「鎌倉は2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台です。大河ドラマを楽しむために知っていただきたい鎌倉の情報等についてお知らせします。」という見出しをつけています。そのサイト中に「ゆかりの地を巡る」があり、1番目には「法華堂跡(北条義時墓)」、2番目には「法華堂跡(源頼朝墓)」、3番目には……「来迎寺【西御門】(鎌倉市西御門1-11-1)▶ゆかりの人物:源頼朝」となっているのです!(来迎寺は私が住職をしております時宗寺院です。)「ゆかりの人物:源頼朝」は、「半分嘘で半分本当」という感じです。

 この続きは、またの機会に語ります。

私立中高進学通信に取材されました。

私立中高進学通信(2021年神奈川版)に本校が取材されました! こちらのサイトで記事を見ることができます。
日本を知り、アジアを知り世界を知って、飛躍する力に

記事はこちら

是非ご覧下さい!!

中学教頭ブログ(9/30)

 我が家の近くに、あの「崎陽軒」の直営販売店がオープンしました。駅の改札口付近やプラットホームではよく見る販売店ですが、郊外に販売店を展開する戦略を打ち出したのだそうです。「崎陽軒」の売り上げの8割はシウマイと弁当で占めるそうです。その売り上げがコロナ禍の影響で4割ほどに落ち込んでしまった時期があったようです。旅行客や出張サラリーマンが列車の中で食べていた、あの「シウマイ弁当」が全く売れなくなってしまったのです。販売戦略を変えざるを得なかったのでしょう。テレワークのサラリーマンをターゲットにした郊外店舗の増設や宅配無料サービスなどの導入により、この苦境を乗り切っているそうです。

 昨年の中学3年生の熊野研修旅行(11月は実施可能でした)では、新横浜駅で「シウマイ弁当」を積み込んでもらいました。新幹線の車中で食べるシウマイ弁当の味は、格別だったのを覚えています。また、旅の気分にも花を添えてくれます。まだ、食べたことのない方は、是非一度召し上がってみてください。5個も入っているシウマイのうまみ、マグロの醤油味、タケノコの食感、そしてアンズとの組み合わせは何とも言えません。

 我が家でも毎月一回は食卓に「シウマイ弁当」が登場します。なぜか食べたくなる逸品です。「シウマイ弁当」は見た目よりもかなりボリュームがあります。ごはんがぎっしりと詰まっているせいです。若者たちには満足できる量だと思いますが、年配の方には多すぎます。「シウマイ弁当」をクリアした方は、次のステージに「赤飯弁当」があります。私のおすすめです。シウマイの数は減りますが、おかずのバランスが優れています。私は、最近この「赤飯弁当」にハマっています。㊟「シウマイ弁当」よりも仕込み数が少ないですから、売り切れにご注意ください。

高校サッカー部 公式戦大会結果報告

9月23日
公式戦 K4リーグ第8節
市立金沢高校戦

1ヶ月ぶりの試合ということに加え、1,2年生の新チームにとっては初の公式戦でした。相手は、来月からの選手権2次予選に出場する強豪校でした。Image0

前半善戦しましたが、後半に差をつけられ、敗戦しました。
1ヶ月の間、制限された活動の中で、選手は努力していました。

中学教頭ブログ(9/22)

 9月21日(火)、藤嶺学園関係者の合同慰霊法要が遊行寺本堂にて営まれました。例年は藤嶺学園三校の高校1年生が一堂に会し行われる行事ですが、感染防止のため生徒の参列は見送られました。

 毎年、慰霊祭は秋のお彼岸の時期に行われているのですが、お彼岸に仏様にお供えするものに「おはぎ」があります。漢字で表すと「お萩」となります。つまり、「萩」は秋の七草の一つに含まれているわけです。一方、春のお彼岸に供えるのが「ぼたもち」となります。漢字では「牡丹餅」と記します。「牡丹」は春の花となるわけです。それでは、「おはぎ」と「ぼたもち」の違いは一体何なのでしょうか。調べてみました。「おはぎ」は粒あんで、「ぼたもち」はこしあんから作られたものを指すそうです。

 小豆の収穫時期は8月下旬~9月上旬です。収穫したての小豆は香りがよく、皮も柔らかいので、粒を生かして「粒あん」で食べる習慣となったようです。一方、春は貯蔵していた小豆を使って作るため、硬い皮を取り除き、「あんこ」のみにして「ぼたもち」にするそうです。要するに、「こしあん」と「粒あん」の違い、「ぼたもち」と「おはぎ」の違いは季節が生み出したものとなるようです。

 年齢を重ねるごとに、食後に甘味を欲してしまうのは私だけでしょうか。特に、「あんこ」は大好物です。ちなみに私は、「粒あん」派です。横浜に出向いたときに必ず買って帰る逸品があります。横浜高島屋B1Fで売っている「大判焼き」です。いつも行列ができている有名店だそうです。甘味好きな方は是非お立ち寄りください。おすすめです。

高校教頭ブログ(9/20)

開山忌と慰霊祭
 9月21日~24日まで遊行寺では「秋季開山忌」が行われます(今年は縮小で22日から)。この期間は、時宗の開祖一遍上人の遺徳を偲び、様々な法要が行われます。ちなみに、4月21日~24日には「春季開山忌」が行われ、遊行寺を開いた呑海(どんかい)上人の遺徳を偲ぶ法要があります。
 一遍上人は、鎌倉時代の延応元年(1239)に瀬戸内海を制圧していた河野水軍の豪族の子として生まれました。以来多くの困難・試練を経験し、36歳のときに諸国遊行を始め、文永11年(1274)に熊野本宮大社証誠殿にて熊野権現より神託を受けて悟りを開きました。そして、51歳で亡くなるまで「遊行・賦算・踊念仏」を続けました。ちなみに、時宗の宗紋「隅切三(すみきりさん)」は河野家の家紋です。
 さて、秋季開山忌は、「お彼岸」の時期とも重なるため、以前は県内外各地から大勢の参拝者があり、東海道線の本数が今より少ない頃は、臨時列車まで出たという話です。境内は露店や見せ物小屋やサーカスまでが来て大いに賑わったそうです。今ではすかっり寂れてしまいましたが…。
 毎年、開山忌初日の午前11時より「藤嶺学園関係物故者追悼慰霊法要」、通称「慰霊祭」が営まれています。この1年間に亡くなった藤嶺学園関係者の霊を慰める法要です。この法要には、御遺族を始めとして、理事長先生や学園の御重鎮、そして藤嶺藤沢・藤沢翔陵・鵠沼の高1生が参列し、厳粛な中で行われます。法要後には、お上人より「お札」を頂くことができます。(残念ながら本年はコロナ禍ということで生徒の参列はありません。)
 では、なぜ、在校生が参列をして「慰霊祭」を行う必要があるのでしょうか。皆さんはお墓参りに行ったことがあると思います。どこのお墓にお参りしたかというと恐らく各々の「ご先祖」のお墓でしょう。では、なぜご先祖のお墓にお参りするのでしょうか。それは「自分へと連なる多くのご先祖のたった一人でも欠けたら、今の自分の存在はない。今自分達が生きているのはご先祖のお陰なのだ。だから、ご先祖に感謝をし、元気でいる姿を見せ、そしてこれからもご先祖に恥じないように一生懸命毎日を過ごす。」という気持ちがあるからでしょう。よく考えてみましょう。皆さんが藤嶺学園の生徒の一員であれば、卒業生や元職員の方々は、生徒としての皆さんにとっての、言わば「ご先祖」にあたるのではないでしょうか。「ご先祖」である卒業生の存在があったからこそ、今の学園があり、今の皆さんの学校生活があるのです。本来なら生徒全員が慰霊祭に参列すべきなのでしょうが、物理的な理由もあり、藤嶺藤沢・藤沢翔陵・鵠沼の各高校1年生だけが参列をします。「慰霊祭」を迎えるにあたり、先人へ思いを馳せ、翻って今の自分を見つめ直す機会にしてほしいと切に願うところです。

中学教頭ブログ(9/16)

 日清食品が世界初のカップ麺Cup Noodleを発売してから、今年の9月18日で50周年を迎えるそうです。発売当初の価格は100円で、袋麺の約4倍の値段でした。ということで、売れるかどうかは疑問視されていたそうです。初年度の売り上げは2億円。しかし、翌年の1972年には40億円を超える売上げを記録したそうです。なんと1年間で20倍以上も売り上げが跳ね上がったのです。その背景には、ある事件が絡んでいました。連合赤軍による浅間山荘事件です。9日間に及んだ人質立てこもり事件は、全国民が注目していました。テレビの視聴率はなんと89.7%という驚異的な数字を記録しました。当時小学生だった私は、学校で給食を食べながらテレビ中継を観ていたことを覚えています。機動隊員たちが極寒の中、おいしそうにCup Noodleを食べる姿が放送されたのです。この映像がCup Noodleの売り上げを爆発的に伸ばしたと言われています。テレビの力は恐ろしい限りです。

 さて、私もスープ代わりにカップ麺を食することがあります。しかし、最近はCup Noodleを食べた記憶はありません。There’s no accounting for taste.ですから、Cup Noodleを好む人と好まない人がいて当然です。私のおすすめのカップ麺を紹介します。それは、東洋水産から発売されている「激めん ワンタンメン」(193円・税抜)という商品です。「激めん」というネーミングのとおり、とにかく麺の品質が私のtasteにマッチします。これぞインスタントラーメンと言える出来栄えだと思います。騙されたと思って、一度食してみてください。イトーヨーカ堂系列のお店には必ず置いてあるはずです。

令和4年度生徒募集要項正式発表

令和4年度(2022年度)の生徒募集要項を中学入試、高校入試ともに正式発表いたしました。

本日、ホームページも更新しました。

今後の説明会等でお配りいたします。(PDFでプリントアウトも出来ます)

<中学入試> 令和4年度生徒募集要項ページはこちら

<高校入試> 令和4年度生徒募集要項ページはこちら

入試対策部

高校教頭ブログ(9/15)

 時宗総本山遊行寺では、毎年9月15日に踊り念仏の一つである「薄念仏会(すすきねんぶつえ)」という法会が営まれます。この法会では、遊行上人と6人の僧侶が薄(ススキ)を囲んでフシ(抑揚)のついた念仏を称えます。「ススキ」は、本堂内陣の前机の前に置かれた大花瓶に、松・青竹とともに生けられ、その青竹の高い位置に遊行四十二代尊任上人の「笹名号(ささみょうごう)」が掛けられます。また、内陣と外陣の境目には18個の白張提灯が吊るされます。藤沢市の伝承によると、法会の参詣者たちは18個の白張提灯を薄念仏が終了したときに競って取り合い、提灯を戴いて持ち帰り田や畑に吊るしておくと虫が付かないと信じられていたとのことです。
 さて、この薄念仏の起源については諸説ありますが、国宝『一遍聖絵』に描かれている「奥州江刺郡」の場面が有力です。『一遍聖絵』第五巻第三段によると、一遍上人は弘安三年(1280)に信州善光寺から奥州に向かい、江刺(現岩手県北上市)を訪ねます。そこには祖父である河野通信公の墳墓があり、それを囲んで僧尼が座して念仏している姿があります。その塚の上部には薄と思われる草が2~3株ほど描かれており、詞書には「墳墓をめくりて転経念仏の功をつみたまふ」と書かれていて、このとき行われていた踊り念仏を時宗教団では「薄念仏」と称しているのです。
 一遍上人の祖父「河野通信公」は、伊予国(愛媛県)の名族の出で、鎌倉時代の名高い武将であり、源平最後の合戦である「壇ノ浦の戦」では水軍を率いて源義経に加わり大活躍をしました。そして、源頼朝の妻である政子の妹を妻とし、頼朝の側で仕えました。しかし、後鳥羽上皇が幕府から朝廷に政権を取り戻そうとして戦いを起こした「承久の乱」(1221年)で、通信公は上皇側につき、戦に破れて江刺郡に流されてしまいました。そして、2年間ほど江刺郡極楽寺に庵をむすび、世捨人となって余生を送ったのでした。「聖塚(河野通信公墳墓)」は、現在「岩手県指定史跡」となっており、『聖絵』そのままの面影が今でも残っています。
 参考までに、『聖絵』のその段の最後は「身をすつるすつる心をすてつれはおもひなき世にすみそめの袖」という一遍上人の歌で締められています。その歌意は「身を捨てるという、その捨てる心さえ捨ててしまいましたので、もはやこの世に何も思いわずらうことのない墨染の姿(黒い衣を着た姿)なのです。」となります。まさに「捨聖(すてひじり)」と呼ばれた一遍上人らしい歌と言えるでしょう。

高校教頭ブログ(9/11)

 日本人24人を含む3000人近くが犠牲となったアメリカ同時多発テロから今日11日で20年になります。いわゆる「9.11」は、2001年9月11日(火)の朝、イスラム過激派テロリスト集団アルカイダによって行われた、アメリカ合衆国に対する4回の協調テロ攻撃です。この攻撃によって2,977人が死亡、25,000人以上が負傷し、長期にわたる健康被害に加えて、少なくとも100億ドルのインフラ・財産の損害が発生したということで、アメリカ史上最悪のテロ事件となりました。本日アメリカでは各地で追悼式が営まれ、犠牲者への祈りが捧げられます。
 さて、先週に引き続き本校の卒業生について記します。
 卒業生の名前は上重泰秀さん。1963年に生まれ、1986年から2006年までニューヨークに在住し、ファッションから報道まで幅広く活動し、数々のハリウッドスターやトップモデルを撮影しました。そして、ニューヨークに在住していた2001年に起きた「アメリカ同時多発テロ」を撮影取材し、写真集『GROUND ZERO』を日本で発刊したのです。写真集表紙には「NY崩壊 2001.9.11 世界が変わった日 写真家Jがたどる直後7時間の記録」とあります。その写真集は、2014年5月にニューヨークのワールドトレードセンタービル跡地に開館した「9.11メモリアルミュージアム」にもコレクションされているそうです。2002年(多分)の「藤嶺祭」では、上重泰秀さんの企画展示を行い、氏も来校されて熱心にお話をされていました。
 今週も藤嶺藤沢106年の歴史の重みを感じた次第です。

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