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2022年3月

高校教頭ブログ(3/23)

少し前になりますが、以下のような記事が毎日新聞地方発(京都)として出ていました。

「隠元禅師に大師号 350年大遠諱、天皇陛下が追贈/京都」
 江戸初期に中国から来日し、黄檗(おうばく)宗大本山万福寺(宇治市)を開いた高僧・隠元(1592~1673年)に1月25日、天皇陛下から「厳統大師」の名が追贈された。2022年は隠元の「350年大遠諱(だいおんき)」に当たり、黄檗宗は大師号の追贈を宮内庁に申請していた。

 仏教の高僧は「〇〇大師」と呼ばれることがよくあります。例えば、真言宗開祖空海は「弘法大師」、天台宗開祖最澄は「傅教大師」です。では、これら「〇〇大師」の号は、誰が名付けるものなのでしょうか?
 日本仏教では「傅教大師最澄」と「慈覚大師円仁」が初めての大師号で、清和天皇から贈られました。それ以来、大師号は「高徳な僧に朝廷から勅賜の形で贈られる尊称」となっているのです。(ただし、私諡号としての「〇〇大師」も存在します。)そして、太平洋戦争後の新憲法下で「象徴天皇制」となりましたが、「〇〇大師」は依然として「勅賜号」なのです……意外でしたよね。「何でも知っている」本校のA事務長も「そうなんですね~」と言っていました。
 ちなみに、一遍上人は1940年に「証誠(しょうじょう)大師」号を贈られました。(私諡号としては「円照大師」という呼び名もあります。)
 天皇陛下の御公務には、実に様々なことがあると再認識したニュースでした。

中学教頭ブログ(3/22)

 3月21日(春分の日)に、藤沢市みらい創造財団主催ふじさわ文化体験「遊行寺で学ぼう!」が行われました。抽選で選ばれた小学4~6年生の男女36名が参加しました。本来ならば、夏休みの時期に「遊行寺に泊まろう!」という企画が1泊2日で行われる予定でした。

 藤沢市の青少年育成事業の一つとして3年前にスタートしたイベントで、小学生にはとても好評のようです。「ふじさわ宿交流館」で藤沢の歴史を学び、「遊行寺」で雑巾がけによる清掃活動と写経体験が行われます。本堂での法話の後、本校の食堂で昼食をいただきます。午後からはグループ毎に「茶道体験」「フィールドビンゴ」「自由遊び」の班に分かれて初めて出会った仲間たちと友好を深めます。

 中学校を卒業したばかりの本校の3年生6名がグループリーダーとして参加しました。また、大学生や社会人のボランティアスタッフ4名も加わり、小学生たちの指導にあたります。本校茶道部の生徒にも協力をお願いし、茶会が行われました。参加した生徒たちの声をまとめてみました。

 圧倒的に多かった感想は、「指導者の大変さがよくわかった。」「自分たちも先生方に迷惑をかけてきたに違いない。」というものでした。普段の私たち教師の苦労を生徒たちが肌で感じることができたのです。体験学習の重要性を再認識した1日となりました。

 感染症の影響で、本校でも2年間にわたって「体験学習」が制限されてきました。「職業体験」に「勉強合宿」、そして「スキー教室」は生徒たちの成長を確認できる大切な行事になっています。令和4年度は生徒たちのために、何とかして宿泊行事を実施したいものです。

中学サッカー部 3送会

3月21日(祝月)に3送会が行われました。Photo_33年生vs保護者のゲームなどを行い、楽しく過ごすことができました。Photo_4コロナ禍で満足のいく環境ではなかったですが、3年生は最後までやり遂げることができました。また、藤嶺藤沢中サッカー部の新たな歴史を作り上げた代でもあります。Photo_53年生ありがとう。本当に感謝しています。

中学新人サッカー大会(1年生大会)

3月20日(日)に新人サッカー大会(1年生大会)が行われました。Photo

vs羽鳥中

前0-0

後0-2

計0-2

ベスト8で敗退となりました。Photo_2

粘り強く戦いましたが、技術の差で失点をしてしまいました。

まだベスト4になれるチームでないことを痛感しました。

この春でチームのレベルを上げていきます。

中学野球部 藤沢市長杯

3月19日(土)
藤沢市長杯1回戦
湘洋中学校との試合3_3藤沢ハ部球場残念ながら負けてしまいましたが、約3ヶ月ぶりの試合をこんな素敵な球場でやらせていただいたことに感謝です。1_34月に行われる春の大会に向けて、春休みの練習を頑張りたいと思います。2_3

高校教頭ブログ(3/17)

桜 さくら サクラ
 梅が盛りを過ぎたと思っていたら、あと1週間で東京は桜の開花を迎える予想が出ています。
 今は「花見」と言うと「桜」のことと思いますが、『万葉集』の時代には「梅」が優勢であったらしいです。『万葉集』に詠まれた梅は110首に対し、桜を詠んだ歌は43首だけとのことです。
 さて、この文がアップされるのは3/17ですが、旧暦で言うと2月(如月)15日にあたります。平安時代末の歌僧である西行法師は『山家集(さんかしゅう/成立年不詳)』に次のような歌を残しています。

 「願わくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃」

 西行法師は、晩年伊勢国に数年住まった後、河内国石川郡弘川(現在の大阪府南河内郡河南町弘川)にある弘川寺に庵居し、建久元年(1190年)にこの地で亡くなりました。かつて詠んだ「願はくは……」は、お釈迦様への思慕の念に満ちており、自分もお釈迦様と同じ2月15日に涅槃に入ることを望んだのです。2月は如月、15日は望月です(今年の望月は16日ですが)。そして、旧暦2月中旬(現在の3月中旬から下旬)の「花のした」とは、「満開の桜の木の下」という意味になります。当時の桜はソメイヨシノではなく、おそらくヤマザクラ(山桜)であったと思われますが、「死」を「桜(が散ること)」に例えたのかもしれません。そして、実際に西行法師は2月16日に亡くなった故、その生きざまが藤原定家(平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人で『新古今和歌集』や『小倉百人一首』を撰じた)や慈円(平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧で、歴史書『愚管抄』を記した)の感動と共感を呼び、当時名声を博したのです。
 また、『一遍上人語録』上巻の『消息法語』には「むかし、空也上人へ、ある人、念仏はいかゝ申すへきやと問ひけれハ、「捨てこそ」とはかりにて、なにとも仰られすと、西行法師の撰集抄に載られたり」とあり、一遍上人の空也上人への強い尊崇の念が表れていると同時に、西行法師への思慕の情も垣間見られます。
 西行法師は「旅の中にある人」と言われますが、日本史上の代表的な「漂泊の人」は、西行法師、一遍上人、松尾芭蕉の3人を挙げる人もいることを書き添えておきます。

高校サッカー部活動報告

3月13日練習試合
神奈川大学@神奈川大学Photo来週に新人戦決勝を控え、2ヶ月ぶりの練習試合の相手は、藤嶺サッカー部OBである大森さん率いる神奈川大学サッカー部でした。

1本目0-1
2本目1-2
3本目0-1
Photo_2選手の力を引き出していただき、レベルの高さを体感しながら良いゲームができました。
神奈川大学サッカー部の皆様ありがとうございました!

高校教頭ブログ(3/11)

3.11
 「3.11」……2011年3月11日14時46分に東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0/最大震度7)が発生し、東北地方を巨大津波が襲いました。この地震による災害を総称して「東日本大震災」と呼ばれていますが、警察庁のまとめによると、東日本大震災死者・行方不明者は、2021年3月9日時点で死者15,900人、行方不明者2,525人となっています。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災、明治三陸地震に次ぐ3番目の規模の被害となり、また同時に、東京電力福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生という大惨事も引き起こすことになりました。現高校2年生は、震災発生当時小学校入学直前の頃でしたが、どのような記憶が残っているでしょうか。
 「3.11」が近づくと、担当官庁から都道府県担当部署を経て「弔意表明について」という通知が毎年学校に来ます。その通知の有る無しに関わらず、14時46分にはそれぞれの立場で、それぞれの方法で弔意が表されます。「震災で亡くなった方々を弔い哀悼する心」を表すことは、その後を生きるわれわれの「勤め」であり、ご遺族に心を寄せることはとても大切であると思います。
 しかしながら、ご遺族の心に寄り添うことは、簡単なことではありません。例えば、津波で妻と娘と父親を失った男性の深い哀しみや喪失感に対し、私にはかける言葉が見つかりません。例えば、震災の津波で児童・教職員84人が犠牲となった石巻市の大川小学校は、震災遺構として保存・公開されていますが、その過程では犠牲者遺族の中にも「保存」に対する賛否があったように、同じ現場のご遺族でも思いは様々であるという現実にどのように寄り添えばよいのか、私にはその術が見つかりません。例えば、周囲には津波で家族が流されてしまった人たちがいる一方で、自分の家族・親族は全員無事であった人たちが抱いたであろう震災当時の「生き辛さ」や「申し訳なさ」に対し、また、親を亡くしたり子供を亡くしたりした人が抱いた可能性がある「生き残ってしまった」という罪の意識にも似た気持ちに対し、私はどう応えることができたでしょうか。
 「弔意表明」という通知には、実に深く厳しい現実が、被災地以外の人々の心に突きつけられているかを理解しなければならないと、私は思うのです。
 Last but not least……昨日は3月10日でしたが、太平洋戦争末期の昭和20年3月10日にアメリカによる「東京大空襲」があり、11日にかけての一夜に115,000人以上が亡くなったことも忘れてはなりません。

中学校だより3月号

中学校だより3月号を掲載しました。

中学校だより3月号はこちら

中学教頭ブログ(3/10)

 先日、久しぶりに近所にある「とんかつ店」を妻と訪れました。コロナ禍前までは休日になると行列ができるほどの人気店でした。現在は昼の部が11:30~14:00、夜の部が17:30~20:00までの時短営業となっています。テーブルの上にはソースと醤油が入った容器と練りからしが入った器が置かれています。

 「とんかつ」をいただく際のソース派か醤油派かの議論は別にして、つけ合わせのキャベツに何をかけるかが問題です。キャベツにとんかつと同じ中濃ソースをかけるのだけは私には耐えられません。どうしても味の変化が欲しくなります。

 その店では、以前はキャベツにつけるマヨネーズを用意してくれました。「とんかつ」を注文すると、何も言わなくてもマヨネーズが出てきました。もちろん、希望するお客のみへの対応です。ところが、先日訪問した際にはそのサービスが無くなっていました。ご主人と話をしたところ、コロナ禍の影響は予想をはるかに超えるもので、特に平日の夜の営業は非常に厳しいとのことでした。たかがマヨネーズ、されどマヨネーズの状況のようです。

 ほとんどの「とんかつ店」ではキャベツのおかわりが自由にできるようですが、私は今までおかわりをした経験はありません。キャベツを何度もおかわりする人の心境がわかりません。ところが、豚肉のしょうが焼きについているキャベツは別物です。しょうが味のきいた汁がキャベツと絡み、ちょっと「シナシナ」になったキャベツの食感がたまりません。これにマヨネーズが絡まると、さらに食欲をそそります。

 私は「マヨラー」ではありませんが、「冷やし中華にマヨネーズ」「ししゃもの塩焼きにマヨネーズ」「たくあんにマヨネーズ」の組み合わせがおすすめのようです。ぜひお試しください。

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