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高校教頭ブログ(3/11)

3.11
 「3.11」……2011年3月11日14時46分に東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0/最大震度7)が発生し、東北地方を巨大津波が襲いました。この地震による災害を総称して「東日本大震災」と呼ばれていますが、警察庁のまとめによると、東日本大震災死者・行方不明者は、2021年3月9日時点で死者15,900人、行方不明者2,525人となっています。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災、明治三陸地震に次ぐ3番目の規模の被害となり、また同時に、東京電力福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生という大惨事も引き起こすことになりました。現高校2年生は、震災発生当時小学校入学直前の頃でしたが、どのような記憶が残っているでしょうか。
 「3.11」が近づくと、担当官庁から都道府県担当部署を経て「弔意表明について」という通知が毎年学校に来ます。その通知の有る無しに関わらず、14時46分にはそれぞれの立場で、それぞれの方法で弔意が表されます。「震災で亡くなった方々を弔い哀悼する心」を表すことは、その後を生きるわれわれの「勤め」であり、ご遺族に心を寄せることはとても大切であると思います。
 しかしながら、ご遺族の心に寄り添うことは、簡単なことではありません。例えば、津波で妻と娘と父親を失った男性の深い哀しみや喪失感に対し、私にはかける言葉が見つかりません。例えば、震災の津波で児童・教職員84人が犠牲となった石巻市の大川小学校は、震災遺構として保存・公開されていますが、その過程では犠牲者遺族の中にも「保存」に対する賛否があったように、同じ現場のご遺族でも思いは様々であるという現実にどのように寄り添えばよいのか、私にはその術が見つかりません。例えば、周囲には津波で家族が流されてしまった人たちがいる一方で、自分の家族・親族は全員無事であった人たちが抱いたであろう震災当時の「生き辛さ」や「申し訳なさ」に対し、また、親を亡くしたり子供を亡くしたりした人が抱いた可能性がある「生き残ってしまった」という罪の意識にも似た気持ちに対し、私はどう応えることができたでしょうか。
 「弔意表明」という通知には、実に深く厳しい現実が、被災地以外の人々の心に突きつけられているかを理解しなければならないと、私は思うのです。
 Last but not least……昨日は3月10日でしたが、太平洋戦争末期の昭和20年3月10日にアメリカによる「東京大空襲」があり、11日にかけての一夜に115,000人以上が亡くなったことも忘れてはなりません。

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