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中学教頭ブログ(10/12)

三遊亭円楽さん、アントニオ猪木さん。昭和・平成の時代を生き抜いた鉄人達が相次いで病に倒れました。言葉を失いました。そして、横浜DeNAベイスターズのクライマックスシリーズ1stステージ敗退。追い打ちをかけて、悲しみと悔しさが込み上げてくる10月となってしまいました。

特に円楽さんが亡くなったのを知ったときは、スマートフォンを見ながらぼう然と立ち尽くしてしまいました。小学校卒業時に、クラスでのサヨナラパーティーで大喜利の真似事をやったのを今でも鮮明に覚えています。各人が家から座布団を持ち寄って、テレビ番組同様の争奪戦が繰りひろげられました。私はその当時の司会を務めていた三波伸介さん(てんぷくトリオ)の役を担っていました。それほど、こども達にも人気を博していた番組だったと記憶しています。

円楽さんが楽太郎の名前で「笑点」のメンバーに加わったのは1977年(昭和52年)。私が高校2年生の時でした。それから、45年間にわたって番組を支えてきた功績はとても大きかったと言わざるを得ません。27歳の若さでメンバーに抜擢されたわけですから、誰からも認められていた逸材だったにちがいありません。

女性とのスキャンダルが明るみとなり、記者会見する羽目となった円楽さんが、会見でも笑いをとっていたことを覚えています。謎かけです。「今回の騒動とかけて、東京湾を出て行く船と解く。その心は、後悔(航海)の真っ最中。」謝罪のための会見が、報道陣を巻き込んでみんなを笑いの渦に巻き込んでいた人柄には恐れ入りました。

11月2日(水)は藤嶺祭の代休となります。久しぶりに「横浜にぎわい座」を訪れ、落語を聴きながら歌丸さん、円楽さんを偲びたいと思います。

駿台ベネッセ記述模試 【高3】

10月11日(火)に本校で、高校3年生駿台ベネッセ記述模試が行われました。

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学校で行う最後の模試ということもあり、生徒は最後まで集中して取り組んでいました。

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逗子開成高校との練習試合 【高校バレー部】

10月10日 逗子開成との練習試合

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本校体育館にて練習試合を行いました。個人の課題はまだまだありますが、少しずつチームで戦うことを意識できるようになってきたように思います。横断幕のことばを体現できるように、春高予選に向けてあと2週間頑張っていきたいと思います!

逗子開成の皆さん練習試合ありがとうございました。

藤沢市新人バレーボール大会 【中学バレー部】

藤沢市新人バレーボール大会に出場しました。結果はベスト4でした。

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試合結果

一回戦 藤嶺藤沢2-0羽鳥中

二回戦 藤嶺藤沢2-0高倉中

準決勝 藤嶺藤沢0-2湘洋中

三位決定戦 藤嶺藤沢0-2滝ノ沢中

大会2日目の決勝リーグに進むことは出来ましたが、残念ながら決勝戦に進むことは出来ませんでした。

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次は湘南地区新人バレーボール大会があります。一つでも多く勝てるよう頑張ります。応援宜しくお願いします。

新人戦 【中学野球部】

10月8日(土)藤沢市新人戦
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 本年度は部員不足により大清水中学校、羽鳥中学校との3校合同チームで新人戦に挑みました。

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 まだまだ、自分達のプレーが出来ず敗戦となりましたが次の大会に向けて課題も見つかり明日からの練習に生かして行きたいと思います。

藤沢市新人卓球大会 【中学卓球部】

10/1(土)、8(土)に秩父宮記念体育館にて藤沢市新人卓球大会が行われました。

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1日に行われた個人戦では、新人の部で6位、ベスト16に1名、ベスト32に2名が入ることができました。

また1年生の部ではベスト16に1名が入り、計5名が湘南ブロック大会の出場権を獲得することができました。

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 8日に行われた団体戦では予選リーグを1位で抜けると、1回戦、準決勝を勝ち上がり、初の決勝まで駒を進めました。

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お互い2本ずつ取り合い、ラストの5番シングルもフルセットまでもつれましたが、あと3点で惜しくも敗れ、準優勝という結果となりました。

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創部22年以来初の準優勝でしたが、悔しい気持ちが残りました。

悔しさをバネに、県大会出場を目指して努力を重ねたいと思います。

生徒会副会長インタビュー

今週は、新しく生徒会副会長に就任した久保本大吾くん(1年F組)にインタビューしてみました。

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「生徒会役員に立候補したきっかけは?」

 私は以前から人の前に立って話をするのが苦手でした。そんな自分を変えたいと思いながら臨んだ高校の入学式で、当時生徒会長だった矢吹先輩が私たち1年生の前で素敵な歓迎の言葉を披露してくれました。その言葉で一気に緊張がほぐれたのを今でも覚えてます。私も矢吹先輩のような先輩になりたいと思い、思い切って生徒会役員に立候補してみました。

「公約は?」

・文化部が活躍できるようなイベントの開催。

 球技大会では主に運動部の人たちが活躍します。文化部の人も大いに活躍できるようなイベントを作りたいなと考えています。

・食堂でのお菓子の販売

 私自身がお菓子が好きだというのもありますが、勉強した後は非常に糖分を欲するので、食堂でそれを補うようなお菓子の販売をしてくれたら嬉しく思います。

「目指す学校像」

 公約とは別に、私は生徒大会を頻繁に開けるような学校にしていきたいと考えています。生徒大会をたくさん開くことができれば、それだけ積極的に多くの生徒の声を学校に届けることができます。また、先輩が後輩の悩みを聞ける相談所の開設も目指しています。先生方にはなかなか聞けないような悩みごとも先輩が気軽に話を聞くことができれば、少しは気持ちが軽くなると思います。

「全校生徒に一言」

 まずは、今回私に投票してくださった方々に感謝です。そして、感謝をするだけではなく、票を入れてくださった方々のご期待に少しでも応えられるようこれからも頑張っていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いします。

高校だより(10月号)

高校だより(10月号)はこちらです。

高校教頭ブログ(10/6)

無常の風

 去る10月1日午前7時40分にアントニオ猪木(猪木寛至)氏が亡くなりました。伝えられていた病状からすると、この瞬間が訪れるのは時間の問題であったのかもしれません。実は、私としては猪木氏の死を「避けて通ろう」としましたが、やはり若い頃の私に大いに影響を与えた存在に対して失礼と思いましたので、この場をお借りして私の猪木物語を語らせて頂きます。
 質問です。次の書名中の〇には何のひらがなが入るでしょう?……『燃え〇闘魂 アントニオ猪木自伝』(東京スポーツ新聞社)……猪木を経験した者はこの質問に間違えることはありません。これが、猪木を語る上での大前提と思うのです。 
 私の高校生時代(40年以上前⁈)「尊敬する人物は?」と問われれば、迷いなく「猪木寛至」と答えていました。そして、高校時代に自分を好きになれず悶々とする中、「猪木のようになりたい」と半分本気で思っていました。(「半分」と言わなければならないのは、中高の先輩に「本気で猪木のごとく生きていた人」がいたからです。)
 当時の日本のプロレス界は、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が人気を二分していましたが、「馬場ファン」はいても「猪木ファン」はいませんでした。その代わり、「猪木信者」あるいは「猪木に傾倒する者たち」がいたのです。すなわち、猪木の存在は、多くの人々にとって「宗教」のようなものだったと言っていいでしょう。彼らは、自分の夢と理想と未来を猪木という存在に投影し、また託してもいたのです。
 猪木は横浜市立寺尾中学校2年生のときに、祖父らとともにブラジルに移民として移住するために横浜港を発つのですが、そのお祖父さんが航海の途中で亡くなり,その亡骸を海に流すという大変悲しい経験をするのです。ブラジルに着いてからは、あてがわれた荒野を耕し、コーヒーの栽培をするのですが、貧しい生活は続いたそうです。日本への帰還については割愛しますが、猪木という人の原点は「ブラジル」にあるのです。
 プロレスラーとして一流になりつつあったとき、あの「猪木vsアリ」を実現させ、その後、異種格闘技戦を重ね、その集大成であり、格闘家猪木全盛期の闘いが「猪木vsウィリー・ウィリアムス(1980年2月)」でした。私は、今でも猪木の異種格闘技戦の中で「最も危険な戦い」であったと確信しています。また、1976年12月のパキスタン最大の都市カラチでの「パキスタンの英雄アクラム・ペールワン戦」と1978年11月の欧州遠征中の「シュツットガルトの惨劇(ローラン(ド)・ボック戦)」は、今も語り継がれる激しい闘いでありました。
 過激な闘いを続ける猪木のもとには、次第に「真の強さ」を求める者たちが集まっていきました。藤原喜明、佐山聡、前田日明、高田延彦、船木誠勝……後の「UWF戦士」たちです。猪木の生き様を目の当たりにした彼らは、UWF、新生UWFと歩みを進め、その後、佐山のシューティング、前田のリングス、髙田のUWFインター、船木のパンクラスに枝分かれしていきますが、その先にこそ「総合格闘技」という新たなジャンルが花開いたのです。(UFCについてはここでは触れません。)
 猪木が求める道に共鳴した2人=作家村松友視氏と『週刊ファイト』編集長井上義啓氏も忘れてはなりません。村松氏は『私プロレスの味方です』『当然プロレスの味方です』、さらに『ファイター 評伝アントニオ猪木』を著し、猪木信者の「拠り所」となりました。また、井上氏は「猪木傾倒者」の代表格であり、猪木信者たちは「駅売り」の『週刊ファイト』を毎週むさぼるように読んだのです。
 以上が私の猪木のすべてです。その後の猪木については、最期まで「プロレス的生き方」をしていたのであると理解していますが、私の高校時代の猪木の存在があまりに大きすぎたため、猪木の後半生には気持ち的に乗り切れない自分がいたのです。
 無常の風は時を選ばず……猪木寛至氏の往生安楽を心からお祈り申し上げます。 

中間試験(中学)

中学生は今日から中間試験です。

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学習した成果を出せますように!!

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