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2022年12月

中学野球部員インタビュー

 今週は、先日の選手技術講習会(高野連と中体連の連携事業)に本校の代表として参加した古川晃くん(2年2組)と伊藤汰一くん(2年3組)にインタビューしてみました。

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☆古川くん

「野球を始めたきっかけは?」

 私が小さい頃からお父さんが家で野球を見ていて、自分も見るようになり、だんだん野球に興味がわいてきました。そんな中、小学校2年生の時に、近所の友達に誘われて少年野球に参加するようになりました。野球がとにかく楽しくて、今でも楽しんで野球ができています。

 少年野球の時の1番の思い出は、小学校6年の大会の準決勝戦のことです。5回までに2点負けていたのですが、6回に2アウト2・3塁で自分がホームランを打つことができました。結局試合には負けてしまいましたが、この球場でのホームランは先輩も成しえなかったことなので、今でもそのときの嬉しさは忘れられません。

「講習会に参加してみて」

 私は普段は投手と捕手をやっているのですが、今回の講習会は捕手で参加させていただきました。日大藤沢高校の山本監督にセカンド送球のコツを教えていただき、今まで以上に素早く送球できるようになりました。また、けがの防止についても教えていただきました。

 高校野球のレベルの高さ、基礎を徹底しているすごさ、常にチャレンジしようとしている雰囲気など、とても勉強になりました。

「目標」

 先日、K1という大会に参加したのですが、そこで新チームとして初めて勝つことができました。最後の夏の大会では、今年の先輩たちが成しえなかった湘南地区大会出場を果たしたいと思います。

 目標とは違ってきてしまいますが、現在、本校の中学野球部は人数が少なく、羽鳥中学校・大清水中学校と合同チームとして大会に参加しています。今からでも野球部に入部してくれたら嬉しいです。

☆伊藤くん

「野球を始めたきっかけは?」

 父が高校時代に野球をやっていたので、小さい頃から野球の話をたくさんしてもらっていました。小学校3年生の時に、自分から少年野球に入りたいとお願いをして本格的に野球を始めることになりました。最初はボールが大きく感じられたり、バットが重く感じられたりしましたが、とにかく楽しくて、今でも楽しく野球を続けることができています。

 少年野球の時の1番の思い出は、6年生の時の大会での決勝戦です。4対6で負けていたときに、2アウト1・2塁で自分に打席が回ってきました。そこで右中間へのタイムリーヒットを打って同点に追いつけたことが1番の思い出です。

「講習会を振り返って」

 私は普段は投手と内野手をやっているのですが、講習会ではセカンドとショートで参加させていただきました。いろいろと教えていただく中で、1番印象に残ったのは、高校生が1つ1つのプレーをとても大切にしているところです。私も基本を大切にしていきたいと思いました。

「目標」

 いろいろな大会で上の大会に出場できたらと思っています。そのためには、基本練習を徹底していきたいと思います。先日のK1大会でも基本を徹底させることができたから勝てたと思います。今は基本を徹底し、その上でみんなでそれを応用していければ、きっともっと勝てるようになると思います。

 これからもみんなで楽しく野球を行い、後輩たちに野球の楽しさを知ってもらいたいと思います。

中学教頭ブログ(12/9)

俳優の渡辺徹さんが61歳の若さで亡くなりました。同じ年齢である私には、もの凄くショッキングな知らせでした。体調不良を訴えてから、わずか8日後に他界してしまったのですから、ご家族にとっては悲しむ間もない出来事だったに違いありません。

しかしながら、家族葬を終えての記者会見では、妻の榊原郁恵さんと息子さんが笑顔で心境を語っていました。その笑顔が逆に痛々しく感じられ、胸に熱いものが込み上げてきました。

私にとっては他人事ではありません。60歳を過ぎてから、腹痛に襲われる機会が数倍増えました。心配になって、大腸の内視鏡検査をやってみても、特に異状は認められません。医師からは、ストレス性の過敏性腸症候群という診断が下っています。自分自身では、そんなに職場でストレスは感じていないつもりなのですが、無意識の中で苦しんでいるのかも知れません。

今日、学校現場でも「働き方改革」を推進しなければなりませんし、「パワーハラスメント」を慎まねばならないのです。それらが、ストレスの要因になっている可能性は十分にあります。教員志望者も年々減っています。やる気のある、気合いの入った先生を採用するのがかなり難しい状況です。これからの学校がどのようになってしまうかを憂う日々が続いています。

私にとって、そんなに多くの時間は残されていません。できる限りのことをやり尽くして引退したいと考えています。それまでは、自分の体調を気遣いながら、ストレスを感じない日々を過ごせればと思います。皆様のご協力を切にお願いする次第です。

最後になってしまいましたが、渡辺徹さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

遊行寺の大銀杏が見ごろを迎えました

師走の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。だんだんと寒くなり、霜が降りるようになりました。

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気温がぐっと下がったことにより、遊行寺の銀杏が見ごろを迎えました。

いろは坂を上ってくると正面には大銀杏が黄金色に染まり、風で落ちた葉があたり一面に広がっていて、黄色い絨毯となってとても美しい光景です。周りに目をやると、真っ赤なモミジが、その少し先にはピンクや白の山茶花が咲いています。冬の厳しい寒さが来る前のいっとき、自然あふれる遊行寺へお出かけください。

師走とは、、、

かつては冬の季節、僧侶を招いて読経などの仏事を行う家が多かったため、僧侶が東西に忙しく走りまわっていました。そこから「師が馳せる」→「師走」となりました。

書写の授業(中学生)

今日と明日で書写の授業が行われています。

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保健だより(12月号)

保健だより(12月号)はこちらです

帰国生入試の出願開始

本日9時より帰国生入試の出願が始まります。

出願期間:令和4年12月7日(水)9:00~令和4年12月14日(水)15:00

山茶花が咲きました

12月に入り、落ち葉舞う冷たい風が吹くようになりましたね。

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本校では、11月下旬ごろから山茶花が咲き始めました。開花期間は短いのですが、次々と咲いてくれるので、冬の間、可愛らしい姿を楽しむことができます。

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山茶花の名は、中国語でツバキ科の木を「山茶」といい、その花を「山茶花」と称したことに由来します。「山茶」と呼ばれる由来は、葉がお茶のように飲料となることから「山に生える茶の木」という意味で名付けられました。

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赤、ピンク、白といろいろな山茶花を楽しめます。遊行寺にお出かけの際は、のぞいてみてください。

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期末試験が始まりました

本日から中高とも期末試験が始まりました。

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緊張感を保ちながら、一生懸命に試験を受けることができています。

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高校教頭ブログ(12/4)

風流踊

 去る11/30にあるニュース報道がありました。それは、「各地の盆踊りなど“風流踊” ユネスコ無形文化遺産に登録決定」というものでした。すなわち、ユネスコは、日本各地で伝承されてきた踊りなど、お囃子に合わせて踊る日本の民俗芸能「風流踊」を無形文化遺産に登録することを決めたのです。登録が決まった「風流踊」は24都府県の合わせて41件の伝統行事だそうです。
「風流踊」のリストの中に、「跡部の踊り念仏」というものがあります。これは、胸前につけた鉦(カネの一種)を打ち鳴らし念仏和讃を唱えながら、太鼓方の音頭にあわせてその周囲をまわって跳ね踊り、恍惚無我の境地にひたるというものです。
「踊り念仏」は、弘安2年(1279)、時宗の開祖一遍上人が信州佐久郡伴野庄(ともののしょう)(佐久市野沢)を訪れ、小田切の里(佐久市臼田)で初めて行ったと言われます。その後、佐久各地へ普及し、江戸時代には、一帯の村々でも行われ、仏事信仰と芸能が融合した庶民の楽しみとなっていたようです。戦前は、跡部に近い平井、日向の両地区でも踊り念仏がまだ残っていたようですが、現在まで受け継がれているのは跡部のみとなっています。
「跡部の踊り念仏」は、西方寺(浄土宗)本堂内の「道場」と呼ばれる場所で行われます。踊り手8人、太鼓方1人の計9人が一組となり、低頭し一礼して「南無阿弥陀仏」と唱えながら道場へ入ります。先頭に立つのは「讃しき」と呼ぶ音頭取りで、続いて鉦を胸前につけ撞木(しゅもく)を手に持った踊り手が入っていきます。まず「南無阿弥陀仏」を唱える平念仏があり、これが終わると全員が太鼓の音頭にしたがって鉦を打ち鳴らしながら、踊躍歓喜の乱舞を行います。その後、踊りは緩やかなテンポとなって再び静かな所作に戻り、道場を出て、次の組と交替します。すべての組が踊り念仏を終えると、知恵団子が配られ、皆で踊り念仏の福を分かち合うのです。
 ちなみに、3年前の「二祖真教上人七百年御遠忌」では、遊行寺本堂で「跡部の踊り念仏」が披露されました。

柔道部員インタビュー

今週は、先日の大会で優秀な成績を収めた柔道部の栗田康佑くん(2年E組)にインタビューしてみました。

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「柔道を始めたきっかけは?」

 兄と姉が柔道をしていたのを見ていたのがきっかけで、小学校2年生のときに興味を持ち、柔道を始めました。最初は道着のたたみ方や受け身の稽古ばかりでとてもつまらなく感じていましたが、3年生からは相手と組めるようになり、柔道がとても楽しくなりました。

 中学校に入学後は柔道部に入部したのですが、そこには武道場がなく、普通教室に畳を敷いて稽古をしていました。1つ上の先輩方は男子だけでしたが、私の学年は男子は私1人しかいなく、先輩たちとの柔道をとにかく大切にしました。中学時代は、団体戦でも個人戦でも県大会に出場することができ、とてもいい経験となりました。

「今回の試合を振り返って」

 団体戦では新人戦準優勝という結果に終わりました。昨年優勝していただけに、嬉しいという気持ちよりも悔しいという気持ちの方が強かったです。また、相手が何度も一緒に稽古をしたことがある藤沢翔陵高校だったので、絶対に勝ちたかったのですが、残念な結果になってしまいました。

 そのあとの個人戦でも県大会で準優勝となりました。決勝戦で戦った日大藤沢の選手はとても強く、何度も負けている選手だったのですが、残念ながら今回も負けてしまいました。彼に勝たないと上には行けないので、次の大会ではどうにかして勝ちたいと思います。

「これからの目標」

 まずは、個人戦で神奈川を制したいと思っています。そして、団体戦(5人制)で関東大会に出場したいです。そのために今は、コーチからのアドバイスを吸収しようと心がけています。コーチは、私と同じ背負い投げを軸としているスタイルなので、そのコーチからとにかくたくさんのことを吸収し、次の大会に向けて頑張っていきたいと思います。

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