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高校サッカー部活動報告

本日は中学3年生対象に、第1回部活体験会を実施いたしました。Image0合計29名という多くの選手にご参加いただき、高校生と一緒に練習や試合を行いました。

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保護者の方も、ご参加いただきありがとうございました。

中学教頭ブログ(7/30)

 東京オリンピックが開幕しました。日本人選手の活躍がすばらしく、金メダルの獲得数が過去最高になるようです。

 さて、みなさんの注目競技はどの競技でしょうか。私の注目競技は「競歩」です。注目競技というよりも感動的な競技と言うべきかもしれません。競歩競技が初めてオリンピック種目となったのは、1908年に行われたロンドン大会でした。その当時の種目は3,500m競歩と10マイル競歩だったそうです。

 私が最も感動する種目は、何と言っても、男子50㎞競歩です。走らずに50㎞も歩くのですから、観ている人にとっては退屈な競技のように思えます。ところが、私にとってはこの「走らずに歩く」という行為に、「じれったさ」を感じる反面、「ものすごさ」も感じてしまうのです。3時間30分以上をかけて、ランナーたちが「走らずに歩く」のですから。また、「歩く」フォームが魅力的です。お尻を振り振り歩くアヒルのような歩き方がたまらないのです。

 残念なお知らせです。この男子50㎞競歩競技は今回のオリンピックが最後となるそうです。8月6日(金)、午前5時30分がスタート時刻です。早起きをして観戦してみてはいかがでしょうか。

湘南学園中学校との練習試合 中学野球部

湘南学園中学校との練習試合
辻堂南部球場にてImg_6543惜しくも1点差で負けてしまいましたが、先発投手が安定したピッチングをしてくれて、試合を作ってくれました。Img_6544まだまだ課題はありますが、全員で元気よく頑張っていきたいと思います。Img_6539湘南学園中学校の皆さん、ありがとうございました。

六会中学校との練習試合 中学野球部

六会中学校との練習試合
六会中学校にてImg_6535新チームとして初の練習試合でした。技量だけでなく、野球に対する姿勢が素晴らしい六会中学校から新チームのはじめにたくさんのことを学ぶことができました。Img_6536何事に対しても一生懸命に、そして全力で取り組む六会中学校の姿勢をこれからも目標にして頑張っていきたいと思います。Img_6537六会中学校の皆さん、ありがとうございました。

校長ブログ(7/24)

7月24日「河童忌」・校長閑話

 

 「河童忌」とは、芥川龍之介の忌日のことです。1927年(昭和2年)、7月24日、35歳の若さで逝去しました。死因は致死量の睡眠薬を飲んでの服毒自殺でした。

「河童忌」の名称は、芥川が生前に好んで河童の絵をよく描き、亡くなる年に残した短編小説「河童」によるもといわれています。そのほかに、「澄江堂忌」「餓鬼忌」と呼ばれることもあります。

 1915年(大正4年)東京帝国大学在学中に「羅生門」を「帝国文学」に発表し、翌年の1916年(大正5年)に第四次『新思潮』創刊号には「鼻」を発表しました。この作品は夏目漱石から賞賛され、その才能が認められ、やがて大正文壇の寵児へと次々に作品が発表されることになります。1915年は、わが藤嶺藤沢が設立認可を受けた年です。したがって「羅生門」は、その発表から106年が過ぎ、いまなお、高校の国語の教科書には、必ずといっていいほど採択される文学作品です。

 芥川が亡くなって8年後、親友であった菊池寛によって、芥川の名を冠した新人文学賞が設立されることになります。それが「芥川龍之介賞」です。通称では「芥川賞」と呼ばれ、「直木賞」とともに新人作家の登竜門となっています。

 芥川龍之介は辞世の句を託して亡くなりました。前書きには「自嘲」とあります。「自嘲」とは、自分で自分を軽蔑し、あざけることです。その句とは、

 

水洟や鼻の先だけ暮れ残る   龍之介

 

「水洟」とは、「はなみす」のことです。7月に冬の季語の「水洟」をもちいて、辞世の句とすることは、多くの俳句や句集を残している芥川にしては、おかしな行動といえます。この句は、『澄江堂句集』77句中の17句目にあたります。そして、成立年代は、大正の10年頃ではないかといわれています。

 死を意識した芥川がこの句を辞世の句としたのには、それなりの理由があり、いろいろな評者の研究も発表されています。冬の夕暮れはあっという間に辺りを闇に包んでいきます。芥川の困憊(こんぱい)した精神と肉体は徐々に闇につつまれていきます。そして、なぜか、鼻水の鼻だけが暮れ残っています。この「鼻」こそが、夏目漱石に賞賛された「鼻」という作品と考えると、すさんでしまった芥川の心が唯一癒されている瞬間にも感じられます。

中学バレーボール部 湘南ブロックベスト16

湘南ブロック大会

1回戦
対 玉縄(鎌倉市2位)
2(25-20、25-13)0
勝利!!

2回戦 ※県大会出場決定戦
対 滝の沢(藤沢市3位)
0(21-25、23-25)2
敗戦

1回戦は春の大会で負けてしまった玉縄でした。組み合わせが決まった時は、「やってやるぞ」という気持ちと、「また負けたらどうしよう」という気持ちの半々だったようですが、見事リベンジを果たすことができました。Image02回戦は県大会出場をかけて、両校共に粘り強くボールを繋ぎ、点を取り合う白熱した展開となりました。ベンチとしては、タイムアウトを使い切り、また、そのタイムアウトを取るたびに、控え選手はモップを掛け、手を叩いて全力で応援してくれました。試合に出ている選手もキャプテンを中心に最後まで前向きな声をかけ続けていました。チーム一丸となって戦いましたが…惜しくも僅差で敗れてしまいました。Image5今年は藤嶺中学バレー部の悲願である県大会出場(湘南ブロックベスト8)まで、本当にあともう一歩と迫ることができました。1人1人がそれぞれ成長した証だと思います。Image4

中学教頭ブログ(7/22)

 昨日、オーストラリアから一通のメールが届きました。Enjoy the Olympics and a beer! という内容でした。25年前、本校が初めて海外語学研修を西オーストラリア州・パースで実施した時に、お世話になった先生からのメッセージでした。

 その先生は男性で、家庭科(主にクッキング)の授業を担当されていました。至って陽気なアメリカ人で、日本に生徒を連れてきた時には、狭苦しい我が家にも泊まっていただきました。マンションのオートロックの玄関では、Open sesame!と大声を上げ、近所迷惑になっていました。京都観光にも連れて行きましたが、神社仏閣にはほとんど興味がない様子でした。ナイトクラブでは水を得た魚のごとく、生き生きとしていました。また、妻が彼の穿いていたパンツの大きさに驚いていたのを覚えています。 実は、その先生が息子さんとともに、今回の東京オリンピックを観戦するために来日する予定でした。もちろん、中止となりました。15年ぶりの再会を楽しみにしていただけに、今はとても残念な気持ちです。

 東京オリンピックがついに開幕しました。五輪招致活動から考えると、10年以上の歳月が流れたことになるわけです。多くの人々がこのイベントの準備に携わってきたのです。そう簡単には中止にできない背景はなんとなく理解できます。とにかく、延期となった東京での2回目のオリンピックが無事に閉幕することを祈るばかりです。

中学バレーボール部 六会中学校との練習試合

本校にて六会中学校との練習試合を行いました。(本校体育館にて)

Image1明日からの湘南ブロック大会に向けて、良い調整をすることができました。1年生は大会には参加出きませんが、審判の練習です。Image六会中の皆さん、ありがとうございました。

高校教頭ブログ(7/19)

 昨日(7/18)の新聞は、本校硬式野球部の勝利を伝える文字が躍っていました。
  読売新聞 :「藤嶺藤沢 打ち勝つ」
  神奈川新聞:「藤嶺藤沢 激闘制す」~決勝打の主将西井「自分たち信じた結果」
 テレビ中継(TVK)があり、4時間を超す大激闘、大逆転勝ちということで、多くの藤嶺藤沢関係者が盛り上がったようです。本校OBで立川流真打ち落語家立川らく次氏からも「強敵相手に激闘を制し嬉しく思っております。勢いに乗る野球部員の健闘をお祈りします。」というメッセージが届きました。
 さて、本校硬式野球部の激闘を伝えた昨日の神奈川新聞の11面には「日曜歌壇・俳壇・柳壇」が載っていました。昨日の歌壇の特選は「滑舌を良くせんものと「赤光」を大きな声でゆっくりと読む」でした。作は「港南区長谷川友則」、選者武田弘之氏の評は「はっきり発音するための訓練として、斎藤茂吉の名歌集「赤光(しゃっこう)」を音読するという。作者は長期の入院を終えて帰宅したが、身体の不如意を抱え、今回は奥様の代筆で投稿された。朴訥な詠み口が心に迫る。」です。

 斎藤茂吉(1882-1953)は、近代短歌を確立した歌人であり、山形県金瓶村(現 上山市金瓶)の旧家(守谷家)に生れ、開業医であった親戚斎藤紀一のもとで(後に養子縁組)一高から東大に学び精神科医となりました。一方、中学時代から和歌に興味を持ち、正岡子規の影響を強く受けて作歌に熱中する青年時代を送ったそうで、代表的歌集に『赤光』『あらたま』『ともしび』『白き山』などがあります。
 斎藤茂吉は、実は時宗と大いに縁があるのです。生家の守谷家は隣接する時宗(のち浄土宗)宝泉寺の檀家であり、茂吉は四十世住職佐原窿応の薫陶を受けたのです。そして、処女歌集『赤光』の題名は、時宗が大切にしている「阿弥陀経」に因んでいます。出典は阿弥陀経中の「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」という部分です。
 時宗750年の歴史には実に様々な人が関わっているということです。

中学バレーボール部 村岡中学校との練習試合

村岡中学校にて練習試合を行いました。Img_7988試合に臨むために必要なことを学ぶ、良い機会になりました。2年生は最後まで3年生のサポートをしてくれました。Img_7984Img_7992村岡中学校の皆さんありがとうございました。