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高校教頭ブログ(8/28)

 8月22日付神奈川新聞日曜歌壇の「次点」に次のような短歌がありました。
「一族の絆はうすき世となりて今年もひとり墓参を済ます」(秦野 星光輝)
「評」は「命日やお盆に家族みんなでお墓参りをした習慣は昔のこと、様変わりした今では家族の絆も薄いものとなり、今年もひとりで寂しく墓参を済ますことになってしまったと詠む作者。その嘆きが共感を誘う。」となっています。
 かねて(特に東日本大震災以降)私が気になっていた言葉……「絆」。一見、非常に耳心地がよく、その価値を否定しようもない言葉です。しかしながら、民俗学的見地から見れば、日本社会が選択した「核家族化」や「都市への人口の流入=地方の過疎化」は、「血縁地縁の絆の消失」を目的としたと言えるでしょう。大袈裟に言えば、日本人が「絆」を忌み嫌った結果が今の日本なのです。このことを前提とせずに、または意識せずに使われる「絆」という言葉に私は少々抵抗感を持つのです。
 付け加えて述べると、発生から間もなく10年6ヵ月になる東日本大震災においては、「押しつけの絆」「上から目線の絆」「(人ぞれぞれ違う)人の思いに寄り添っていない絆」が一部で言われました。そして、『絆って言うな!~東日本大震災-復興しつつある現場から見えてきたもの』という著作が2016年10月1日に刊行されてもいます。
 今回のブログは「教頭の私見」としてお許し下さい。

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