『報告』 宮沢賢治について
私はもともと中高で、国語を教えていました。しかし、小学時代から中学生になるまで、詩というのが良く分かりませんでした。教科書の上半分に字が並んでいて、説明文や物語文は読むと意味が分かるのに、詩ははっきり言って、何が言いたいのかよく分かりません。どうして下まで行をつなげていかないのか、宿題として出される作文の字を埋めることに苦労していた私には、なんだかズルいような気までするくらいでした。
今も、「分かる」か、と言われると「私は詩が分かります」なんて言い切る自信はないのですが、ある授業がきっかけになって、それまで持っていた抵抗感、なんか詩ってイヤだなという感じがなくなり、詩が大好きになりました。そんな話をさせてください。
高校3年生の時、国語の授業には、必ず選ばなければならない「現代文」と「古典」の他に、選びたい人はどうぞという「選択授業」というのがありました。ひとつは文学の歴史「文学史」というもので、大学を受験する生徒はその準備のために選んでくださいという説明が書かれていました。
もうひとつは、「現代詩」というものでした。最初に書きました通り、「詩」なんて全然分からないと思っていたので、「教われば分かるようになるかも知れない」と思いましたし、受験の準備のための「文学史」というのが、カリカリ勉強しなければならないような気がして、せっかく選ばなくても良い授業で選ぶならと、「現代詩」の授業を受けることにしました。
最初の授業で先生が配ってくれたプリントに書いてあったのが、タイトルの『報告』という宮沢賢治の詩です。こういう詩です。
さっき火事だと騒ぎましたのは 虹でございました
もう1時間も りんと張って居ります
こういう2行の詩です。やっぱりダメだと思いました。この2行で何が言いたいのかさっぱり分からないと思いました。だから、先生が「この詩からどのような感じを受けるか、メモに書いて今提出してください」と言いながら配ってくれたわら半紙には「何が言いたいのか分かりません」と書きました。
集まったそのメモを先生が読み上げます。すると私と同じように「分からない」と書いている人もいる中で、「なんか慌ててる感じがする」というメモがありました。また、「『ございました』なんていう、すごくマジメな言葉づかいと、大きな虹のキレイな感じが面白い」と言う人もいました。
先生は、「言葉とそのイメージ」と黒板に書きました。「おなかと腹と腹部、みんな同じ場所のことを示す言葉です。でも『おなかが痛い』というのと『腹が痛い』『腹部が痛い』それぞれ感じが違いますよね。ひとつひとつの言葉には、その言葉の持っているイメージがあるんです」と。
…この詩の中の言葉、ひとつひとつのイメージを細かく良く見ていきましょう。
そうやって授業が進んで行きました。
同級生の言葉と、先生の説明とを聞いて、急に目の前が開けたような気になりました。そうか「報告」っていう題名だから、誰かきっとえらい人に報告してるんだ。どこかの村か、ひょっとしたら動物たちの国かも知れません。そこできっと「山火事だ」っていう大騒ぎが起こったのではないでしょうか。最初に誰かのあわてた「火事です!」っていう報告があって、その後で、落ち着いて見上げてみると虹だった。それが1時間も。
「りん」とですから、ぼんやりとした虹じゃなくて、本当にくっきりと大きな虹が、そう「火事だ!」って誰かが間違うくらいの虹ができたんだ。うわぁ、すごい虹だって、みんなが言葉を失って空を見上げている様子が目に浮かびます。
そんな風景がいっぺんに目の前に広がりました。その授業の後から、私は詩を読むのが大好きになりました。あの先生にお会いしたいなぁと、ずっと思っています。