今朝の礼拝
今朝の高学年礼拝での英語科の先生のメッセージです。こうやって毎朝、色々な先生たちのお話を聞くことができる児童たちがうらやましいなと思い、ご紹介します。
テモテへの手紙 一 第4章4節
「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです」
今日は私が小学校3年生、8月の夏休みにフィリピンのひいおばあちゃんの家に遊びに行った時の話をします。
ひいおばあちゃんの誕生日が近づき、お祝いのパーティーの準備をすることになりました。お母さんと弟がお祝いの豚を買いに行き、体調の悪かった私は留守番をしていました。家のすぐ近くに市場があるのに、3時間経っても帰ってきません。親戚の人が話しかけてくれても、タガログ語も英語も当時は良く分からなかったし、心細くて庭で二人の帰りを待っていました。
4時間経った頃、お母さんと弟がトライシケルといって、バイクの横にサイドカーがある乗り物に乗って帰ってきました。やっとかーなんて思って近づいてみると、なんとトライシケルの後ろに生きている豚が繋がれていたのです。バイクは豚の歩くスピードに合わせてゆっくり走ってきました。あ、だからこんな時間が掛かったんだと納得しましたが、それにしてもまさか本当の豚を連れてくるとは思わなかったので、すごく驚きました。
なぜ生きている豚を買ってきたのか。皆さんは豚の丸焼きを見たことがありますか?頭から足も全部そのまま丸焼きです。フィリピンでは、結婚式やめでたい時に豚の丸焼きを食べます。この時、ひいおばあちゃんは90数歳の誕生日ということで豚の丸焼きを用意することになったのです。
しばらく紐に繋がれている豚を弟や従妹たちと観察していると、近所のおじさんたちが集まって目の前で豚を解体し始めました。もちろん豚は苦しそうに悲鳴を上げ、一生懸命逃げようともがいています。
今、振り返ると小学校3年生にしては刺激的な光景だったとは思いますが、その時の私は、豚のことを可哀そうだとかそういう気持ちだけではなく、こうやって豚は命をささげるんだ。私も豚肉は大好きだし、いつも食べてる豚もこういう過程があって、私たちの食べ物になるんだ。と思ったら、きちんと見守らなくちゃいけないという気持ちで最後まで見ました。
魚や野菜を調理する時、魚や野菜からは悲鳴は聞こえないけれど、命をいただくということは、その生き物たちの生きた時間、そして苦しんだ時間もいただくということになるのかなと思います。
今、ちょうど昇降口には「食品ロス」といって、食品を無駄にしないようにしましょうという呼びかけのポスターがたくさん貼られています。6年生が家庭科の授業で作ったものです。まだ見ていないお友だちも、そのポスターからも、命をいただくということを考えられたら良いのかも知れません。
毎日の食事を感謝していただくことが出来たらと思います。